ララソアーニャからパンプローナまでは15㎞ほど、しかしパンプローナで宿がとれなかったのでさらに5㎞先のシスル・マヨールに泊まりました。
巡礼者
巡礼者は本当に千差万別、多種多様、私が少しでも会話した人たちの国籍が
台湾、韓国、スペイン、ポルトガル、ドイツ、フランス、英国、アイルランド、オランダ、ハンガリー、イタリア、南アフリカ、イスラエル、アメリカ、カナダ、ペルー、チリ、インドネシア、シンガポール、日本といったところ。この国名の羅列を見て、”あれ?”と思う国がありませんか。
巡礼者は、20代から、正確に聞いたわけではありませんが、どう見ても70過ぎていると思われる人。一人もいれば、夫婦や4人くらいの同年代のグループもありました。
男女のカップルで、アジア系の50代と思しき男性と、欧米系の30前くらいの女性が並んで歩いているのを目撃しました。このカップルとは何度かすれ違ったので複数日一緒にいたはずですが、内容はわかりませんが、とにかく男性が一生懸命、間断なく英語で話しかけていました。女性の反応が薄いのにです。あるとき、ふと気が付くと男性一人で歩いていました。どうも、個人個人の巡礼者同士がくっついて、離れたのかな~という感じです。オヤジの悲哀を感じたところでした。
体格もさまざまで、結構足や膝に負担があるんでないの?と思しき方もいて、巡礼というよりダイエットでねーの、と聞いてみたくなる方もいましたが聞きません。
あるとき、夕食として町の店に入りピザを頼んだら、これが結構でかく一部を"Take away"でと持ち帰りをお願いしたところ、同じように大きすぎてフォークが止まっていた隣のテーブルの女性二人組が、私の依頼に同調したかのようにお持ち帰りを頼んでいました。
この二人組は見た目親子のように見えましたが、二人ともたる型、歩く遮光器土偶です。これは地元の人だなと横目で見ていましたが、精算時になんとお店の巡礼のスタンプを押してもらっていました。巡礼スタンプは巡礼路沿いのレストランやバル(スペインの喫茶店)にもよく置いてあるのです。
男性、女性の比では少し女性が多いのではとも思えるほど女性が多く感じられます。
ちなみに私を見て多くの外国人からはコーラかと言われました。ペプシではありません。韓国人と思われてるわけで、カミーノ巡礼者のアジア人ではそれだけ韓国人は多く、巡礼中それはそれは多くの韓国人に会いました。
日本人とも会いましたが、体感日本人の3倍くらいいるように思えました。日本人の場合国内の旅先が多く、英会話能力が貧相なため、海外に行くまでもない、と思う方が多いということがこの差ではとも思えます。
その次に多いアジア人が台湾人です。かれらは”タイワン”と説明し、決して中国の一部ではないと主張していました。
巡礼の動機は聖地巡礼ですのでカトリックの教えに従い巡礼しているという方ももちろんいるのでしょうが、私がそこのところさほど興味がなく突っ込まなかったこともあるものの、接した方からはほぼ聞きませんでした。
この項の前段で”あれ?”と書いたのはイスラエル人で、この方はもちろんユダヤ教徒でした。
プエンテ デ ラ トリニダード(Puente de la Trinidad)
パンプローナの入り口にある町です。
ナバーラ州の州都であるパンプローナはカミーノ フランセス最初の大きな町です。教会はカテドラルの名にふさわしい大きなつくりで、祭壇などの内装も絢爛豪華、金色で彩られています。
グーグルアースで見た写真ではその姿がわかるのですが、現地に行っても近くに高所がないのでなかなかそれらしき写真が撮れませんでした。残念ながら、一部道路になっています。
シスル・マヨール
パンプローナでは電話で問い合わせたアルベルゲがすべて満員でしたので、すこし離れた安ホテルをとりました。中心部より5㎞ほど離れた、シスル・マヨール(Zizur Mayor)という町です。
この日、たまたま地区のお祭りが開催されていて、広場に模擬店が出されたり、毎年パンプローナで開催されるスペインの三大祭りのひとつとされる”牛追い祭り”のミニ版も実施され、けが人がでるのを想定してか救急車が待機していました。