Quantum of Treks

タダより安いものはない。歩けばそこに報酬(Quantum)あり。

イタリア(バーリ、アルベロベッロ、ナポリ)

ドブロブニクからバーリへ

ドブロブニクの港を11時発のフェリーDALMACIJA号に乗船しアドリア海を横断した。

天候はこの上もないほどの快晴で、穏やかな風のなか、船は定刻通りゆっくり離岸した。

ドブロブニクの港、フェリーDALMACIJA号から

アドリア海は波もなく、この海で荒れることが全く想像できないほどの穏やかな海模様である。

フェリーDALMACIJA号から

船の到着予定は18時半、甲板にでて外の空気を吸い、水平線をながめたり、

船内にもどりくつろいだり、なかの食堂で一服したりを繰り返した。

 

バーリについたのは、ほぼ定刻通り、あたりは夕闇に包まれるころあい。
グーグルマップの指示に従い、港湾の道路を抜け、旧市街のごちゃごちゃした小径に入る。

ここを抜け、洗練されたブランドショップなどが集まる街の繁華街にでた。

さらに通りを抜けると公園があり、その先がバーリの駅。

駅のまえで左にまがり線路に沿うように少し歩くとこの日のホステルが見えた。

2泊した。

 

アルベロベッロ

バーリからバスで1時間5分とグーグルマップが示していた。

バス乗り場は駅の斜め前の商業ビルの前。ビルは道路に沿って100mほどの幅があり、複数のサインボードが立っている。観光客がじわじわ集まり出したが、どのスポットか具体的にわからない。

そのうちのひとつのサインボードには確かにアルベロベッロと記載されている。

しかし、今度はチケットの購入方法がわからない。

ビルのテナントのひとつにバルがあり、朝早くから、朝食を提供していた。

この店にポスターが貼られており、チケット取り扱いを示していた。

 

バスになんとか乗車し、アルベロベッロに到着した。

アルベロベッロには、トゥルッリという独特の建物がたくさんあります。

トゥルッリは円筒形を基本とした土台の壁を白く漆喰でかため、その上に薄く黒い石板を積み重ね円錐状にした屋根をのせた独特の形状の建物で、ひとつひとつは、そう大きなものではありません。

トゥルッリがあるのはアルベロベッロだけではないのですが、この地区には数百あるのではと思えるほどたくさんあり、あわさってかわいらしい景観を作っています。

建物の集合体が世界遺産となっており、このことから日本の合掌造りの白川郷と姉妹都市を結んでいます。

アルベロベッロ

アルベロベッロ

アルベロベッロ

バーリの街並み

アルベロベッロからバーリにもどり少し街を散策しました

バーリ 旧市街の通り

バーリの商店街の石畳にチョーク絵

バーリの教会

バーリ St,NIcolas サンタクロースのモデル

 

バーリからナポリへ

ナポリへは、アルベロベッロ行きと同じバス停からバスが出ており、朝6時発のバスにのりました。

バスは、ほぼ予定通りの時刻でナポリ駅隣の降り場に到着。

この日の宿に向かいました。

この日の宿は、民泊アパートの一室を借りました。なので、ホテルの表示がありません。

家主とは、Wats Appを使い、到着時刻などをやりとりしていました。

現場につくと表示はないものの家主が迎えに来てくれました。

 

事件

へやで一時間ほど休むとナポリの町の散策へ

駅前から延びる大きな通りに沿って駅と反対方向を歩くと、人が群がっていました。

安売りの衣料品店で、歩道上にも多数の客があふれていました。

ここを、かきわけ進もうとすると背中にしょっているリュックにごそごそ手をかけられたのが伝わってきました。

これを、振りほどこうとするや、こんどは腰がすこし引っ張られました。

気づくと腰のポシェットに結び付けられているスマホを抜き取っている。

すかさず、男の手をはらって、叩き落しました。

おおきな声をあげると抜き取ろうとした男は雑踏に消えていきました。

スマホは無事でしたがプラスティックのケーブルが切れました。

これ以降、ナポリではリュックは体の前で抱えることにしました。

 

ポンペイとベスビオ火山

ポンペイとベスビオ火山のツアーに参加しました。

バスの待ち合わせはナポリ駅前、バスはそこから他の客を複数拾い、なぜかポンペイとは逆方向にすすむ。港湾沿いの高台に行き海と遠方にみえるベスビオの紹介。

さらに、バスはナポリ王宮の前でとまり30分程度の自由行動という。

当方、なぜ、ポンペイに行かないのだ、と思っていたが、よくよく見るとツアーの概略にこれも書いてあった。

自由行動の場所の近くにナポリの巨大なアーケードがあったので、ここを覗いていたら結構な時間が経っていた。約束の時刻に少し遅れ、ガイドの表情が曇っていた。

しかし、その数分後別のカップルが戻ってきた。

自分が最後ではなかった。

 

客全員があつまり、バスは一路ポンペイへ向かった。

一部高速道路を使い20分ほどでポンペイの入口に到着。

ここで、同じ会社の他のグループと合流し、さらに英語グループ27名とスペイン語グループに組み分けした。

当方、英語グループに入り説明を受けた。

ポンペイのゲートをくぐり暫く歩くと、ギリシャやローマでおなじみの半円形の競技場があった。

この他、パン焼き窯、壁画がある部屋、売春小屋の説明がありました。

下の写真の人型はベスビオの灰がポンペイに降り積もり、住民にもかぶさるも高温で中の人間は焼け焦げ、人の形で空洞ができた。

この空洞にコンクリートを入れ形を作ったのがこの像なのだそうです。

ポンペイ遺跡 競技場

ポンペイ遺跡

ポンペイ遺跡 壁画

ポンペイ遺跡 人型

 

ベスビオ火山

ベスビオ火山は標高1,200mと事前に伺っていたが、果たしてどこから歩くのか

ポンペイを30分ほどバスで移動、途中土産物屋により火山登山口に着く

一時間ほどトレッキング。

山の頂上部分は臼状にえぐれていて、一部煙がたっていた。

現在も活動している山であることがはっきり分かった。

ベスビオ火山

ベスビオ火山

頂上部分には土産屋もあり、ここで少し過ごし下山した。

 

マルガリータ教室

すこし余裕がある日であったので、当初予定していなかったマルガリータを作る教室に参加した。

参加者は8名。

小麦粉に水と小指の先ほどのイースト、これに水を加えこねる。

こねたものを一日冷蔵庫で寝かす。

それが、これです。と参加者にドウを配りました。

適当な大きさに広げ、引き伸ばし、ソースとチーズバジルをのせる。

これを窯で焼くと、はい、マルガリータの完成。

2時間で「CHEF」の称号をいただきました。

マルガリータ教室

 

マルガリータ教室

マルガリータ完成形

巨大なカゼルタ宮殿

カゼルタ宮殿は18世紀に建てられた最も大きな宮殿とされ、97年に世界遺産に登録されました。

ナポリ王国の宮殿です。

今回の旅でウイーンのシェーンブルン宮殿やプラハやワルシャワでも宮殿を訪れましたが、規格外の大きさです。

敷地的にシェーンブルン宮殿が匹敵するかもしれませんが。

施設の一部はスターウオーズのロケでも使われたそうです。

細長い庭園は傾斜があり、中央を流れる水路は、上部から水が流れ込みカスケードのような構造となっています。

カゼルタ

カゼルタ

カゼルタ 庭園中央の水路の先にある人工池

カゼルタ スターウオーズのロケ現場

カゼルタ 応接間

カゼルタの展示物 寝室



このカゼルタを最後にこの旅は終了。日本に向かうために翌日の便にあわせナポリ空港傍のホテルに向かった。

 

ナポリ空港近接のホテル

広さ2畳ほどのコンテナホテル。カプセルより少しまし

日本へは、ナポリからミラノ。ミラノから上海、上海から成田という経路。

ナポリからミラノはLCCイージージェットで約1時間半、何事もなく通過。

しかし、ここから味噌が付いた。

ミラノからは中国国際航空の上海の浦東(プドン)国際空港へ

当初、飛行機は順調に上海へ向かい椅子の裏のモニターを見ると、想定通りの

経過をコースを描いていた。

しかし、上海に近づくにつれモニターの航跡が進まなくなった。

というより航跡は円を描きだした。時刻は到着時刻を大きく超えている。

それが、一回、2回、3回まわったところで、意を決したかのように上海プドン空港に近づきだした。

そして、大きなドンという音ともに着陸。

窓の外をみると、風がふきあれている。

台風のようだった。よくこれで降りたものだと思うほどの風であった。

しかし、着陸は予定の時刻を大きく過ぎている。

上手く乗り継ぎができるか。

当局は非常措置を行い、通常の経路をバイパスする経路を採ってくれた。

次の成田行きの便も問題なく搭乗できた。

飛行は大丈夫か。

これも、心配されたが成田では大きな荒れがなかった。

飛行機は無事着陸

が、しかし飛行機からおりバゲージクレームで突然職員より声がかかった。

この便の一部の預託荷物のなかに引継ぎができなかったものがある、ミラノからトランシットの便だという。

自分のことだ。さらに伺うとやはりない。

ああ、ロストバゲージになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クロアチア(ドブロブニク、プリトヴィツェ)

クロアチア、ザグレブへ

ウイーンからクロアチア、ザグレブまではバスの移動。

国際バスターミナルからの14:45発で19:35着。

ザグレブのバスターミナルは駅の傍、着いた頃は日の光はなく、この日のホステルまで線路沿いをとおり、ホステルに着いた。

明日の朝は早い。ザグレブはほぼ寝るだけであった。

 

プリトヴィツェ湖群国立公園 世界遺産

この国立公園行ツアーのバスは、ザグレブ駅前のKing Tomislav's Square公園の外れで集合である、朝8時発。

バスは2時間半ほどで現地到着。

ガイドは入場料を徴収、その後施設にはいり、小舟に移動。湖をわたりトレッキングがスタートした。

 

プリトヴィツェ湖群国立公園

プリトヴィツェ湖群国立公園

プリトヴィツェ湖群を堪能後、バスは国道へもどりオプションの夕食会場へ、ここへ来たバスは2台。

客はザグレブ組とスプリト組に分かれ、スプリト行のバスに乗った。

スプリト

時刻は夜7時をまわっていた。漸く次の宿泊地スプリトについた。

あたりは暗くなっていたが、街は賑やかさが残っていて、レストランやアイスショップ、土産物屋が営業していた。世界遺産の街。けっこうな観光地である。

宿は、歴史を感じさせる石造りの建物のすきまにあるホステルで、現地の人に伺いながらようやくたどり着いた。

スプリト

スプリト

スプリトのバスターミナルはホステルより400mほど徒歩5分、朝8時発。

右手にアドリア海を見ながら4時間、お昼ころドブロブニクに到着した。

 

ドブロブニク

ドブロブニクは逆V字型のクロアチアの国土の先端でアドリア海に面したところに位置する。

旧市街は、見渡す限り少しくすんだオレンジの屋根が連なっている非常に美しい街で、79年というかなり早い時期に世界遺産に登録されています。

旧市街の周囲は城壁で囲まれていて、城壁に登るのに35ユーロ。

これは、結構高いのではと思っていたが、かなり見どころがある。

ところが、少し残念に思えるのが、日本では厳島や江ノ島にも生活する住人がいるようだが、ここ旧市街にもそれら生活する人がいるようで、一部建物の隙間に洗濯物があったり、バスケットやミニサッカーのコートがある。小さいながらも畑もあった。

まぁ、しょうがない。

 

ドブロブニクは確かに美しい街で、どこを切り取っても絵になるのだが、なにせこの旧市街以外の目玉がない。

旧市街に寄り添うようにある城趾が少しと、旧市街を俯瞰できるロープウェイがあるが、これらを消化すると、言ってはなんだが、これ以上のものがあるだろうか、という感じである。

もっとも、当局もこれを理解しているのか旧市街の中には、小さな博物館や旧市街の港からでるミニクルーズもある。

土産物屋にレストラン、ジェラート屋など多少楽しめる場所はあるものの、およそ半日あれば満喫できる空間と思えた。

少し日が陰りだした頃、宿がある市内行きのバスのチケットを買ったのだが、私の後でバスのチケットを買おうとしていた欧米人は、ワンウィークのチケットを購入していた。

1週間もなにを見るのだろう。

ドブロブニク

ドブロブニク

ドブロブニク

ドブロブニク

今回訪問したドブロブニク、プリトヴィツェは本当に美しい場所で、もう少し交通の便がよければ、イタリアやギリシャからも近いので日本人にも普及する施設かもしれない。
宿泊費や食費の物価がやすければもっと良いが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストリア(ウイーン)

プラハからウイーンへ

プラハからウイーンまでは列車で移動した。

列車は8時44分発、プラハ駅に着いたのが、8時ころであったが、電光掲示板をみると44分発確かにWIENA行がある。しかしホームの表示がない。

掲示板を眺めしばらくすると、とつぜん”ビエナ”と声をかけられた。

四十前後の男性である。

そうだと答えると、三番ホームという。

ここの鉄道は改札がない。切符がなくても誰でもホームに入れる。

三番ホームに行くと、ホームとはまさにホーム、島の部分のことを指し、左右どちらか分からない。左右に列車が停まっていた。

すると70を超えるであろうジイサンが近づいてきて、”こちらがビエナ行き”と示してくれた。

チェコはいい人がいるね、と思っていたら。チップ、チップという。

現地通貨の残があったので、少し渡してサヨナラした。

 

列車は予定通りウイーンに到着した。

プラハーウイーンの車内

ウイーンの宿は宇宙船

この日の宿はSpace Home Apartment。ウイーンの駅から徒歩15分ほど。

名前の通り、宇宙船風のカプセルがしつらえているドミトリーである。

しかし、価格は日本のビジネスホテルくらい。

入り口の電子ロックに数字のキーを打ち込み開閉する。

最後まで、管理人に会うことはなかった。

宇宙船

スペースホーム

 

まず、美術館へ

宿を確保し街の散策。近くにある宮殿兼美術館「上宮美術館」を訪問した。

ここには、クリムトのKISSをはじめ多数の作品がある。

上宮美術館

クリムト KISS

クリムト

モーツァルト・コンサート

この日の夜は日本でもお馴染みのホール(知っている人は知っている?)楽友協会のモーツァルトコンサートの鑑賞である。

かなり人気のコンサートのようで開演前は受付で人があふれかえり、席も時間前になるとほぼ埋め尽くされた。

このコンサートを予約するにあたって、注意事項があり、ドレスコードが示されていた。なので、荷物になると思いながら軽いジャケット、ワイシャツ、ネクタイを持参し、身に着けていった。

席は2階の一番安い席であったが、まわりは中国人(本国か台湾か不明だが)がたくさんいて開演前ではあるが、しゃべるはしゃべる。かれらの服装は中年のおばさんにはドレス風の人もいたが、ほぼジャージだろ、と思える人がたくさんいた。

あの、ドレスコードはなんだったのという感じであった。

コンサートが始まると、さすがウイーンフィルというきめ細やかな調べ。

弦楽演奏ばかりでなく、女性ボーカルも間にいれて飽きさせない。

また、指揮者は観客に拍手を求め、ときどき手拍子も要求した。

観客がその要求のタイミングが分かり出すと、指揮者は見透かしたようにそれをそらし、笑いを取っていた。

2時間ほどのコンサートであったが、クラシックコンサートという堅いイメージを柔らかくする親しめる構成であった。

楽友協会 コンサートホール

次の日は日曜日
朝食は食費を抑えようと近くのスーパーマーケットを探した。

ホテルの近くに日本でも見るSPARがあった。しかし、閉まっている。この日は日曜。

ドアの開店時刻の表示を見ると日曜がない。本日、休みであった。

ウイーンの人は困らないのだろうか。

ホテル近くのスーパー SPAR

営業時間に日曜がない

シェーンブルン宮殿

ウイーンと言えば、絢爛豪華なハプスブルク家の栄華と、そしてその宮殿である。

その象徴たるシェーンブルン宮殿を訪問した。

すこし行き当たりばったりで地下鉄に乗り、お昼少し前に宮殿に到着しチケットを購入すると、博物館の入場は4時と言われた。

入場制限をするからだが、4時間以上ある。

ちょっと甘く見ていた。

しょうがないので、宮殿内の庭園とそのまた付属施設の植栽で作られた迷路に入って時間をつぶした。

シェーンブルン宮殿

シェーンブルン宮殿

ようやく入れた博物館

シェーンブルン宮殿 博物館

シェーンブルン宮殿 博物館

 

シュテファン大聖堂

ウイーンの中心部的繁華街の一端にそれは目を引くゴシック様式のカテドラルがあります。シュテファン大聖堂です。

有料エレベーターで屋根の近くへ行ってみました。

シュテファン大聖堂

シュテファン大聖堂 エレベーターで昇った屋根の近くから



美術史美術館

芸術の街、ウイーンには教科書にのるような絵画を収蔵した美術館があります。

その代表が美術史美術館。ブリューゲルの作品を多く収蔵しています。

美術史美術館

ブリューゲル

ブリューゲル

カール5世

 

象牙で作られています。



芸術の街ウイーンは、音楽、美術などの洗練されたものがたくさんあり、目の肥えた方にとってたまらない空間でしょう。

余力があれば長く逗留したいところですが、実のところ、そんなに目が肥えているわけでもないのでこの辺でOKかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

チェコ(プラハ)

プラハへ

ワルシャワからチェコのプラハへは夜行バスで移動

プラハには8時半ころ着、想定内の遅れ

バスターミナル近くの地下鉄駅Florencより二駅ムーステク駅から

そこから徒歩5分、グーグルマップで問題無くhostel hormerに9時半着

チェックインが14時からとされていたので、キャリーバッグを預かってもらい街の散策。

 

かろうじてHOSTELの表示でわかる

プラハの街の散策

プラハの街並み

天文時計

からくり時計

チェコの画家といえば、アルフォンソ・ミュシャ。

まずはミュシャ博物館へ、入場料二千円くらい。

ホテルより徒歩5分。

しかし、ミュシャはかなり多作なはずだが、どうも作品が少ない。

加えて、作品が2023年5月八王子夢美術館でミュシャ展があったのだが、この展示物や以前購入した作品集で見た記憶と比しどうも褪せている。

これは、おそらく塗料が紫外線に負けているのではないか

また、アクセサリーなど工芸品も作ったはずだがないに等しい。

ミュシャ博物館

ミュシャ博物館

CANNABIS SHOP

プラハの街ではCANNABIS(大麻)が堂々と売られています。

CANNABIS SHOP

市内ツアー

次の日市内ツアーに参加した。

前日夕方メールがあり9時15分までにとの連絡があった。

ピッキングポイントは駅近くのホテル横、ツアー開始時刻は10時。

しかし、まてども待てどもそれらしい車はこない。

気が付けば10時を回っている。

やむなくメールで、主催者に”どうしたらいい”と、投げかけた。

予定時刻をはるかに回って連絡がついた。

ミニバンが迎えにきてツアーに参加できたが、どうやら10時の組でなく

11時の組に組み入れたようだった。

ミニバンにはすでに20代のチリ人の女性が乗っていた。そして本体と合流しツアーが始まった。

 

プラハ城

プラハ城で衛兵の観閲式を見学

プラハ城 衛兵の検閲式

ヴィートカテドラル

ゴシック様式の大聖堂

ヴィートカテドラル

ヴィートカテドラル

ヴァレンシュタイン公園から

St Nicholas Church

St Nicholas Church 内部

ブルタヴァ(モルダウ)川クルーズ

ツアーの一部として、カレル橋のたもとの桟橋から30名ほど乗れる小さめのボートに乗りました。

モルダウといえば、スメタナの”わが祖国”船内からこの曲が絶え間なく流れていました。

船は上流へ向かい橋を五つほどくぐり抜けて、その後反転しもとの桟橋に戻りました。

都合30分ほどのクルーズでした。

船から見るカレル橋

カレル橋

桟橋とボート。背後はカレル橋

シナゴーグ

シナゴーグ

シナゴーグ近くの壁に貼られた顔写真。ガザの人質か

旧市街広場

Old Town Square

 

カレル橋

 

旧市街広場

Old Town Square




ヴィート教会
ツアーでは、ヴィート教会の内部に入れなかったので日を改めて入りました。

ヴィート教会

ヴィート教会裏側

ヴィート教会内部

教会にはミュシャ作のステンドグラスがあります。

いかにもミュシャらしいスラブ人の生きざまを集めた作品です。

ミュシャのステンドグラス

プラハ最後の夕食は、ホテル近くの中華料理屋に入りました。

ラーメンを注文したのですがパクチーが入っており、なじみのない味でした。

お会計の段になるとウェイターがクレジット処理の端末を持ってきたのですが、よくある端末よりすこし大きい。

なにやら10%、20%などの表示がある。チップの表示でこれを客でえらんでくれ、というシステムです。

しかし、振り返ってこのテーブルで特別なサービスを受けた覚えがない。

ゼロはあるのかと伺い、0%にしてもらいました。

ホステル近くの中華料理屋のラーメン

プラハは街の中央にモルダウ川の流れる、見る場所に事欠かない美しい街です。
一方味わってはいませんがCANNABISが当たり前のように売られ、店にはSOUVENIRの表示もある。特に若い人には危険な空間かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポーランド(クラクフ、ビルケナウ、ワルシャワ)

クラクフへ

ブダペストからポーランド、クラクフまでは夜行バス。

夜12時過ぎの便、出発はブダペスト、リスト・フェレンツ国際空港の前とある。

これまでも夜行バスはいくつか利用してきたが、ターミナル前には必ず事務所があった。

しかし、バスがどの発着所を使うのか見当がつかない。

予約書の簡略図をみる限り、有料駐車場横のバス用の駐車スペースと見当をつけるものの空港の到着口にもバスベイがある。階段下の前者と階段上の後者と時間ギリギリまで重い荷物を持ち行ったり来たり。

バスは予定の数分遅れで、階段下のバススペースへ到着、そして出発した。時刻は0時半。

行先は私はクラクフまでであったが、他の乗客は様々で、朝の3時ころにはあるバス停に到着、それから路線バスかのように一時間程度おきにバス停に着く。そのつど目が覚めるので、なかなかいい睡眠がとれない。

まあ、こんなものか。

クラクフ市内に入るにつれ、道は渋滞し遅々としてくる。

バスは、想定内の遅延後、ターミナルに着いた。

バスターミナルと駅が隣接し、さらに大型のショッピングモールが繋がっていて、地下道で線路をまたいでいる。

クラクフの町は卵型の旧市街(城壁)に囲まれ、その中心部分に大聖堂や広場がある。

本日の宿は、その中心から少し離れたところにある小さなドミトリーだが、Booking.Comの予約書や住所をグーグルマップに打ち込んでも、それらしいものが出てこない。

現地に行くとおおよそは分かるのだが、表にホテルの記載はない。

地番からあたりを付けた建物のドアを開けようとするが施錠されている。

が、しかし木製のドアの錠(かんぬき)を受けるところが削れに削れ、強く押すと開いた。

二階に上がりそれらしい宿泊施設があっただが、ここも鍵がかかっていた。

強めになんどかノックすると中から開けてもらった。

宿泊していた客であった。宿の管理者はいない。

 

クラクフの街並み

荷物を宿に置き、ドアの開け方を他の宿泊客から教わり、街の散策に出た。

 

クラクフのカテドラル 聖マリア聖堂

クラクフの中央市場広場 内部にたくさんの土産物屋がある。

クラクフ広場の観光馬車

オスカーシンドラーの工場

クラクフでぜひ行きたいと思っていたのが、シンドラーの工場。

少し遠方にあったが、クラクフ市街は縦横にトラムが走っており、乗り継いで現場に行くことができた。

施設の前ではすでに30人ほどが並んでいたが、これがなかなか前へ進まない。入場制限を行っており、ほんの少しづつしか入れないようだった。

映画”シンドラーのリスト”によるとオスカーシンドラーの計らいで、このほうろう工場でユダヤ人を働かせ、彼らの命を救った。という話かと記憶しているが。

この工場跡地の資料では、あまり生々しさが伝わってこない。

悲惨なシーンを抑えているのか。

シンドラーのエナメル工場

シンドラーの机

オスカー・シンドラー

次の日

負の世界遺産アウシュビッツと世界遺産の岩塩抗のツアーに参加した。

ビルケナウ(アウシュヴィッツ)

アウシュビッツでは始め、資料館に案内される。

資料では、ユダヤ人たちの扱い、施設の構造などの説明があった。

アウシュビッツ資料館 当時の施設(ガス室)の模型

 

アウシュビッツ資料館 ヨーロッパ全土から連れてこられたことを示す地図

ついで、実際にアウシュビッツの施設跡に伺った。
施設は広大で数百m四方、この施設以外のものが見えない。

収容等に案内されるが、戦時中とは言え、かなり過酷な環境と思われる構造である。

アウシュビッツ(ビルケナウ)

アウシュビッツ ユダヤ人収容施設

ヴィエリチカ岩塩坑

11世紀から20世紀まで掘削されていた岩塩抗。中には、抗夫たちが利用した、教会や広大な広場が設けてある。

ユネスコが最初に認定した世界遺産のひとつである。

ビルケナウから30分くらい。

施設入口に着くと券売所まで長蛇の列。

ガイドさんが代わりに切符を購入。

岩塩抗の始まりは木組みの螺旋階段から始まった。

一見大きな階段ではない。上から見ると4m四方くらいの正方形である。

この螺旋階段がいつまでも続く。実際、いつまでもではないが相当数くるくる、くるくる回り、場内の案内は60数m下りました、と記憶している。

観光客は20名程度でひとまとめのパーティを作り、パーティごとに説明のガイドが付いた。

ガイドに導かれ様々なステージに行く、ある現場では岩塩で作った彫像が置かれ、ある現場では岩塩採掘の模様を再現している。

さらに先へ進むと大きな空間が開け教会が現れた。

よくぞ、これだけの空間をほったものと感心する。

これら様々なステージを経て、段々下へ下へ降りていく。

最下層で130mくらいと記憶しているが、よくよく考えれば現場には結構な数の観光客が来ている。彼らをどうやって上にあげるかしら。

どう考えても歩いて登りたくない。

などと考えていたら出口の案内。エレベーターがある。

エレベーターの前はには階段があり、2階建てとなっている。

つまり箱が縦に二つ繋がっている。

このやりかたで、細い間口で2倍の輸送量がつくれるわけだ。

しかし、エレベーターのなかはかなり狭い。

入れるだけ詰め込む。コロナの時期なら一斉に同時罹患というからだが接触するぎゅうぎゅうである。

螺旋階段を覗いたところ



ヴィエリチカ岩塩坑

ヴィエリチカ岩塩坑 

ヴィエリチカ岩塩坑 帰りの2階建てエレベーター

クラクフからワルシャワへ

ワルシャワ行のバスは夜1時15分の発、少し時間があるので隣のショッピングモールで時間をつぶすが、10時半をもって警備から閉業を告げられ、バスターミナルに移動。

ターミナルのベンチで時間をつぶすが、かなりある。ターミナルには各所に出発する様々なバスの電光掲示板がある。

これは、実際の出発時刻に近づくと掲示するシステムのようだった。

よる12時を過ぎても乗るはずのバスの掲示がない。

なにかの間違いか、遅延と思うが、同時刻あたりに同じ会社のバスがきた。

しかし、予定していたバスのナンバーが違う。

運転士にこれに乗れるはずだ、と強く申し立てたが。

怒ったように拒絶された。実際番号が違うのでそうだろう。

やむなくスマホで次の便を探すと、うまい具合に2時15分発ワルシャワ行のバスがあった。

すかさず、スマホで申込契約完了。1時間遅れであったが、バスに乗ることができた。

バスは、朝6時ころワルシャワのバスターミナルに到着した。

 

ワルシャワの朝は雨

路線バスで、ホテルへ向かう。路線バスは、グーグルマップからその路線番号を教えてくれる。

 

この日の宿はカプセルホテル

カプセルホテル

近隣を散策した。

ホテルの前のビルの壁面

ソビエト連邦の遺産 文化科学宮殿

ワルシャワ ウォーキングツアー

翌日予定していた市内ツアーに参加した。

参加者は、欧州系の老カップルと中国人の中年カップル。

この中国人は奥さんに毎度まいどポーズをとらせる、少し停滞気味であった。

 

ワルシャワ ウォーキングツアー

ワルシャワ ウォーキングツアー マリーキュリーの家

ワルシャワ ウォーキングツアー

ワルシャワ ウォーキングツアー 人魚像

ポーランドの偉人、ヨハネパウロⅡのレリーフ

 

ワルシャワの有名なレストランで、有名なスープを飲んだ。”Beet Root Soup” 色は血を煮詰めたような濃い赤、臭いも強烈な個性的スープ、たぶん日本人にはあわないと思います。

ワルシャワで人気のレストラン ZAPIECHEK

左端のマグカップが人気のスープ beetroot soup

Beetroot Soupはこのウェイターの推薦

ワルシャワのゲットー跡

 

ポーランドと言えばユダヤ人と認識されるくらい、ユダヤ人にかかわる負の歴史がいろんなところで見ることができる。

ビルケナウやシンドラーの工場、ワルシャワにもユダヤ人に関する博物館がある。

一方、ユダヤ人が収容されていたのはポーランドだけでなく、あちこちの国にゲットーという収容施設があった。

ワルシャワにもあり、その跡を見に行ったが、ヨーロッパ各所に似たような施設が多数あるせいなのか、とてもそれとして保存されているようには見えなかった。

世界中の注目を集めるガザの争いがあるが、このユダヤの争いにどれだけの人がこころを寄せているのかと思った次第。

 





 

 

 

 

 

 

 

ハンガリー(ブダペスト、エステルゴム)

ブカレストからブタペストへ

ブカレストからブタペストへは当初、バス移動を計画していましたが、16時間半かかり、ちょっと痔にこたえると思い、飛行機に変更。

キャリアはサマルカンドからアブダビへ行く便と同じWIZZ AIR。

前回チェックイン経費50ドルを徴収されたので、今回はしっかりアプリからチェックイン、しかしこれも約3ドルかかる。チェックインで金とるかね、というのが正直なところ。

預託荷物もキャリーを削りに削り機内持ち込みに移し替え、ぴったり10㎏にした。

搭乗口は11番、1番から10番までは別にゲートがあり、パスポートチェックを行う。

シェンゲン協定締約国同士なのでここはパスポートチェック不要である。たいへん助かる。

しかし、WIZZ AIRからメールがあり、出発時刻が16:50から17:31に変更。

搭乗口にはお客がどんどん集まりだし、床に座りだす人も多数。

18時前頃、到着便から降りてくる客がぞくぞくと11番ゲート待合所を通過しだした。

この空港は、到着便の客と出発客が混ざり合う構造になっている。

到着便の客が降りるとそれから少し時間が必要だろうと思っていると、ものの10分も経たず、出発客を乗せだした。ここがWIZZ AIRの手際のよさである。

 

1時間半のフライトの後、ブダペスト空港に着くとイミグレーションもなにもない。荷物を受け取るだけ、さすがシェンゲン協定。

受け取る間際に両替所があったので、レートを伺うと100ユーロが34,000フォリントという。では、50だといくらか聞くと、17,000、レートは変わらない。そこで50ユーロ両替。しかし、荷物受け取り所を一歩外に出るとそこにも両替所があった。レートを見ると35,400。この差はなに。

市中心部にある宿までを切符売り場のお姉さんに聞くと、地下鉄やバスがあるが、地下鉄は乗り換えが必要と言う。ここは、おすすめのとおり100番のバスを選択。

 

バスを降りグーグルマップに従い、ホステルに向かうとその少し手前でトラムの線路の一部を占領しちょっとした祭り、イベントが開催されていて、多数の露店が並んでいた。

その一つに日本人が経営する焼き鳥丼があったので、この日の夕食とした。

なんでも、ブダペストで居酒屋を経営しているといっていた。

 

ホステルは道路から外観が見えない奥まったところにあり、4~50人は入れるのではと思われる少し大きめの施設。カギとしてICカードを渡された。

 

Free tourに参加

事前に申し込んでいた街歩きのボランティアツアーに参加した。

(ボランティアと言っても申込手数料がかかる)

ウォーキングツアー 聖イシュトバーン大聖堂

 

ウォーキングツアー St. Stephen's Square

ウォーキングツアー

フリー ウォーキングツアー Jozsef Nador Ter

フリー ウォーキングツアー

フリー ウォーキングツアー

ドナウ川の護岸敷きにホロコーストを記念して置かれた鋼製の靴のモニュメント。

傍にある写真はガザの人質か。

ウォーキングツアーShoes on the Danube Bank

 

ウォーキングツアー セーチェーニ鎖橋 Szechenyi Lanchid

ウォーキングツアーHungarian Parliament Building

ボランティアツアーについて

日本の観光地でも、ボランティアの方がツアーを行っているところがたくさんあります。

彼らは、いかにもリタイアした方々が市などに登録して、これまでお世話になったであろう市町村などの恩返しなどをモチベーションに、それこそ無償で行われているパターンをよく見ます。

なので、この方たちは概ね前期高齢者かその前後あたり。

しかし、ここのような海外の観光地で見られるこれらボランティアガイドは、かなり若い人が多く、30代くらいのかたを多く見ました。

なぜ、こんなことができるかというと、これらボランティアツアーの終了後、ガイドはさりげなく袋を広げチップを集めます。多くの参加者が1€、2€、5€といったチップを入れます。午前の部、午後の部で一日2回やれば100€をこえるのでは、と思えるチップの入り方を見ます。

これぞ、欧米の文化です。

ボランティアの説明がうまければ上手いほど、その額は増えるわけなので、彼らの説明、話しぶりもどんどんうまくなるわけです。

一方、日本はと言うと、基本お金は受け取りません。

なので、けして業とはならないので、お金と言う視点では洗練されるわけではないのです。

ただ、今回のようなボランティアツアーは、基本的に有料の施設には入りません。自らの説明で街の観光施設を魅力的に語るわけですが、その説明は多くが英語です。

言葉をしっかり受け止めれば楽しめるのですが、どうも入ってくる内容に限界がありました。

 

夜のドナウ川クルーズより

ドナウ川の桟橋から夜の1時間ほどのクルーズがでています。

ビールやワインの飲み物つきです。

圧巻のハンガリー国会議事堂


ブダペストサイクリングツアー

日を改めアシスト自転車を使ったブダペスト散策のツアーに参加しました。

ブダペストに来たら温泉に入ろうと思っていたのですが、セーチェーニ温泉に行くと入場料が高くて、外からの見学だけにしました。

セーチェーニ温泉

 

 

マーチャーシュ教会

マーチャーシュ教会

西洋美術館

ブリューゲルやヴァン・ダイク、エル・グレコ、ラファエロなど

教科書に載っているような有名どころの絵画がたくさんありました。

(2番目、3番目はブリューゲル、あとは失念)

 

エステルゴム

丸一日余力があったので、ドナウ川がぐっと曲がるドナウベンドを見たいと思い、ブダペストから少し離れたエステルゴムに行くことにしました。

エステルゴムまでは、ブダペストのトラムのはずれにあるターミナルから直通のバスがでており、ここから1時間とすこしでつきます。

エステルゴムはドナウの畔の町で、橋ひとつ渡ればスロバキアです。

ここの名物は巨大なカテドラル、エステルゴム大聖堂

地上からドームの先端までおよそ100m

ファサードはパルテノン風のエンタシスの柱が支えてあるが、これがまた巨大。

ブダペストならわからなくもないが、この規模のまちでどうしてこんな巨大なものが必要なのか甚だ疑問です。

エステルゴム大聖堂

エステルゴム大聖堂の内部

ドナウベンド

エステルゴム沿いの道を30分ほど南下すると、ドナウが九十度近く大きく曲がるダイナミックなところがあり、ドナウベンドと呼ばれている。

これを見ようと近くまでいったつもりだったが、どれがそうなのかよくわからなかった。

ドナウベンド か?

 

ハンガリーは36年前にも訪問していたのですが、どうもその記憶と重ならない。

政治的にロシア寄りとも言われることもあり、どちらかというと東欧に位置づけられる町であるので、物価的にもう少し住みやすいイメージがあったが、近年の戦争などの要因からくる物価高や、外人観光客に対する姿勢なのか、とにかく物価高が行動を制限しました。残念。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルーマニア(ブカレスト、トランシルヴァニア)

ソフィアからブカレストへ

ソフィアからルーマニアのブカレストまでは前回イスタンブールからの便と同じ夜行バスである。バス会社も同じFILIXでソフィアに着いたその場所がルーマニアへの発車ステーションとなった。FILIXの事務所でバスの旅程表を記載した紙を事務所のお姉さんに見せると間違いないといい、私の名前もあるという。

一通り安心のための作業を終え、ふとメールを見るとFILIXからのメールがあり、予定のバスは71分の遅延という。発車が12時をすぎることとなる。

また、事務所は発車予定の11時少し前に閉めるという。

中で待っていた乗客予定者は締め出され、彼女は、バアイの一言で立ち去った。

待っていると尿意をもよおしたので、トイレを探すがバスターミナル付近にない。

ターミナルはソフィア駅のと傍なので、駅に行き内部に入るが、時間が時間なのか、すでに閉まっている。

駅内部の壁の構内図を見るといったん施設にでて事務所近くにあると表示されていた。

外へ出ると発射待ちの列車が停まっていて、それを見ると民度なのかな~と思わせる姿があった。車両が落書きだらけである。日本と違い誰でも入れるところに夜間停めっぱなしである。やりたくなるのか。

ソフィアの駅 落書きだらけの車両

 

バスはメールの予告通り一時間遅れで到着し、QRコードで乗客を確認し予定通りの遅れで出発した。

トルコからブルガリアの国境では夜二時ころ出国と入国のパスポートチェックがあったので、今回はどうだろうかと思っていたら、ボーダーの手前、バスは極端なノロノロになり、ようやくイミグレーションらしき施設にたどり着くと警察官らしき人がバスに乗り込んできた。

乗客からパスポートを預かりだした。

十分ほどすると、バスの乗務員がパスポートを預かり乗客たちに返しだした。

どうやら、出国は何事もなく、入国するときのパスポート確認のようであった。

あらためてパスポートをみたがスタンプを押された形跡はなかった。

ブカレストの市内に入る頃、道は渋滞しなかなか進まなくなった。結局バスターミナルに着いたのが朝8時少し過ぎ、予定より2時間の遅れであった。

 

バスターミナルから市の中心部まで少し距離がある。これは使い勝手のいい地下鉄に何度ものりそうだと思い十回券の切符を購入した。磁気のバーが付いた紙製である。

地下鉄に乗り、市の中心部へ向かい2泊予定のホステルに着いた。

一筋奥には観光客向けのレストラン、バルが集まっている至便な場所である。

チェックインすると、クリーニングのサービスがあるというので早速依頼した。

チェックアウトまでに乾くはずである。

部屋で休んでしばらくしたら、あることに気が付いた。

ポケットに地下鉄券を入れたままだった。

日本のお札と違い粉々だった。9回分損した。

 

 

トランシルヴァニアの城を巡るツアー

ホテルから徒歩5分ほどのツアーの待ち合わせ場所にはすでに多数のバス、ミニバスが並んでいて、ガイドが参加者の確認を行っていた。

なので、かれらに一人ずつ自分の名前はないか問いただすが、何台ものガイドに伺うものの、自分の名前がない。

バスは、客が集まったものから順次出発し、入れ替わる。

出発予定の時刻がきてもバスが来ない。

結局15分ほど遅れてバスが来た。

 

ぺレシュ城

最初のお城はペレシュ城

19世紀末から20世紀初めに建てられたお城

現在改修中であった。

ペレシュ城

ペレシュ城 内部

ブラン城

ドラキュラのモデルといわれるヴラド3世の居住していたとされるお城です。

土産物屋には、ドラキュラにまつわるグッズがたくさん並んでいます。

 

ブラン城



ドラキュラのモデル ヴラド3世

ブラン城

 

ブラショフ

トランシルヴァニアの中心的都市。

ブラショフの街並み

ブラショフの教会 Black Charch

 

議事堂宮殿

圧政を敷いて89年に処刑されたチャウシェスクの遺産である。
世界で3番目に大きな政府系の建造物と言われています。

観光施設にもなっているのですが、タイミングがあわず中に入れなかった。

巨大な国会議事堂

 

議事堂前の通り

ルーマニアで訪問したいと思っていたのが、トランシルヴァニアとチャウシェスクの遺産の議事堂(国民の館)であったが、議事堂は遠方からしか見れなかったのが残念であった。