Quantum of Treks

タダより安いものはない。歩けばそこに報酬(Quantum)あり。

カミーノ DAY21 トリアカステラ→サリア(Triacastera→Sarria)

トリアカステラからサリアまでは20㎞もない。しかも起伏も小さいので楽勝のコースでありました。

朝の風景

休憩所

トリアカステラから2時間ほど歩いた集落に、ボランティアが運営する巡礼者用の休憩所がありました。

ここでは、休憩ばかりでなく、お茶にコーヒー、パンや卵や果物も無料で提供されていて、多くの巡礼者がなんの気兼ねなくゆったりとした時間を過ごしていました。

下の写真にあるとおり、”DONATIVO”ドネーション、心づけで運営されていて、小銭をジャラジャラと入れる方がみられました。

ボランティア運営の休憩所

BARのメニュー

スペインには生活の場のいたるところにBAR(バル)があり、特に巡礼路にはその需要を反映して、飲み物や食べ物が欲しいタイミングでバルばかりか模擬店のような店が出現します。

バルでの相場は、朝食メニューでいえば、コーラが2€(320円)トルティーヤ(ジャガイモが入ったオムレツ)が2€、カプチーノが2€、クロワッサンが1~2€といったところ。

なので、朝食に飲み物とトルティーヤとクロワッサンを頼むと約1000円程度になります。

そのバルで、よく置かれているのが、下の写真のオレンジジューサー。

最近日本でも大き目の複合店にFEED MEという名でオレンジを半分にわりその場で絞る、販売機が出回っていますが、この仕掛けで簡易マシーンにしたジューサーが、多くのバルに置いてあります。

このオレンジジュースは一杯おおよそ3€(500円ほど)で、コーラの1.5倍ほどですが、これがホントにうまい。疲れた体に染み渡るジュースでした。

このジューサーはその後行く、マドリードのスーパーマーケットにもよく置いてありました。

オレンジのジューサー

サリアの宿

サリアは、それなりのホテルやスーパーなどを有する中規模の地方都市という感じで、街の中心部を流れる川沿いにはレストランなどの店舗が並んでいます。

この日の宿にしたアルベルゲ プエンテリベイラはこの川とカミーノ巡礼路が交わるところのそばにあり、至便な立地です。部屋はアルベルゲと称するとおりドミトリー形式で2段ベッドが8か所ほど、いろんな人種がまじりあった空間でした。

アルベルゲの前の川

ガリシア料理

サリアの宿につき、荷解き後洗濯し、夕食のバル探しと翌日の巡礼路の確認も兼ね街へ出歩きました。

宿から5分ほど巡礼路に沿って坂を上ったところに、ガリシア料理を標榜するバル(Restaurante O Tapas)がありました。店舗の前にはコース料理のメニューが掲げられていました。

メニューを見ると、コースの1には、Galician Broth との表記が、旅行に来た以上、土地のものを食わねばと思い、とともに12€、まずまずいいお値段。

Brothという言葉になじみがなかったので、スマホで調べると”出汁”などとあります。要はスープだろうと思い、これを注文したところ以下の写真。

食べてみると、う~ん、なんだこいつは、刻んだジャガイモを水で煮込んで。。そこから先の味が表現できない。パンチがない。

ガリシアは海に近く、タコ、エビなどの魚介類料理が有名であるとの事前の情報があったので、いささかの期待があったのですが、このスープを味わう限り、日本の、みそ、醬油や魚介類の絶妙な出汁の文化を知る当方としては、なんとも奥行きのない味だな~、と感じるところでした。

ちなみに、下の魚料理の味付けも淡白でした。

サリアのガリシア料理

あいにく、料理ではあまりメリハリを感じなかったのですが、ちょうど食事中地元のご年配のかたが集まり、店の前でミニコンサートを披露していました。

ニコンサート



カミーノ DAY20 ラス エレリアス→トリアカステーラ(Las Herrerias→Triacastera)

山登り

エレリアスからオセブレイロまで7㎞程度ですが、標高差が700mほどあります。オセブレイロまでは、登坂が延々続くことが、巡礼路断面図からも示されています。少々距離もあることから6時発、真っ暗な中ヘッドライト頼りにあるき出しましたが、少し足が重い。

暫くして登りにさしかかると後ろから来た巡礼者に抜かされました。

その少しあと道はふたつに分かれていて、暗がりでしたが左を示していました。道がゆるやかになったのでピッチを上げたのですが、ぬきさられた巡礼者はいつまでも見えませんでした。おそらく道を間違えたのでしょう。勝った。ちょっと優越です。

巡礼路は決して極端な傾斜こそありませんが、細い登山道のようなやぶ道を上ってばかり、事前に簡単な経路図をみていたので覚悟はしていましたが、登山と思えばそうでもないですが、初日のフランスからの国境越えよりも難所といえる行程でした。

 

朝の登山道

朝の風景

朝の風景

登ること2時間ほど、漸く集落に着くとおなじみのバルがあり、多くの巡礼者たちが休憩していました。

いつものシンコーラを注文し充電しました。シンはシンゴジラのシンでなく、ノンシュガーということ。砂糖入りだと口のなかがべたべたして気持ち悪くなるからです。

ガリシア州の入り口を示す碑がありました。

ガリシア州の入り口

オ・セブレイロ

ガリシア州の入り口の碑をすぎ、さらに登ると山を見下ろす少女の像がありました。

休憩する巡礼者(Escultura "Peregrina repousando")

オセブレイロの教会です。大きな教会ではありませんが、巡礼者にとっての要衝地のひとつです。

オセブレイロの教会(Santuario de Santa María a Real do Cebreiro)

オセブレイロの教会

教会のそばにあるケルト風史跡

丸い家の史跡

オセブレイロを超えるとあとは下り坂。

20㎞程度さきの、この日の宿があるトリアカステーラを目指します。

 

ドイツ人

トリアカステーラのアルベルゲはAitzeneaという名前。多分アイツェンネアと読むような気がしますが最後まで読み方が分かりませんでした。

宿にチェックイン後、同部屋の巡礼者は一人だけ、あいさつし、名前をかわしましたが、どうも人の名前が記憶に残らない。ドイツ系だったというのがぼんやり片隅にのこるだけ。

その後、宿から3分ほどのバルで食事をすることにし、15€ほどのコースを注文し、ゆっくりしていたら、突然男性から相席はいいかといわれました。

特に断る理由もないので、”どうぞ”というと、漸くぼんやり思い出しました。15分前にあったばかりの同部屋のドイツ人の彼でした。

なんともいい加減な記憶力です。反省しきり。

彼は、50代くらいでしょうか、サッシの修理の仕事をしている、と話していました。

それ以上の印象がのこりませんでした。

 

カミーノ DAY19 レオン→ラス エレリアス(Leon→Herrerias)

レオン→ラス エレリアス

レオンからエレリアスまでとしていますが、この間、アストルガやポンフェラーダなど要衝の地があります。これをバスでショートカットしました。

レオンからのショートカットする適当な距離にあるバス停はオ・セブレイロにありましたが、この近辺のアルベルゲは既にいっぱいでした。止む無く降車バス停はオ・セブレイロとし、宿はブッキングドットコムで探すと少し戻ることになるエレリアスにありました。

オ・セブレイロの巡礼路は国道よりいささか山側に離れていました。よって、エレリアスへは巡礼路をたどるのは最短でなかったため、国道や旧道(国道ができる前の主要道と思われる道)の舗装道路を歩きました。

エレリアスは少し戻るくらいかと思いつつ、旧道を歩くと今や主要道でないため、この間巡礼者はもとより地元の人とも誰ともすれ違いませんでした。鼻歌でも歌いながら歩いていたのですが、結局エレリアスまで2時間、8㎞ほど逆行しました。行き当たりばったりの本領発揮。ちょっと想定外の疲労でした。

エレリアスの宿、「Casa Lixa」(From Google)



カミーノ DAY17・18 レオン(Leon)

巡礼路上の主要都市、レオンには2泊しました。

 

レオン大聖堂

ステンドグラスが見事だとの評判の大聖堂ですが、下の写真では表現できない多数の美しいステンドグラスがあります。

およそ12世紀から作られ始め、増改築を繰り返したようですが、この巨大で美しい施設がなぜ世界遺産でないのか不思議です。

登録しなくても観光客はそれなりに来るし、逆にオーバーツーリズムになるよりいいのかもしれません。

レオン大聖堂

 

レオン大聖堂

 

レオン大聖堂

ガウディの建築物(カサ・ボティネス)

バルセロナ以外では珍しいガウディの建築物。大聖堂の近くにあります。ぱっと見、外見はどこがガウディらしいのか素人の私にはあまり分かりませんでしたが、玄関口上部にある彫像の騎士がドラゴンを退治しているさまが、いかにもという感じです。

もとは、金融機関だったようですが、現在ガウディの博物館となっており、家具や調度品なども展示されていて、それらにはガウディらしさが伺えるものが多数あります。

ガウディ建築のカサ・ボティネス
ガウディの椅子やドアノブ

親子丼

レオンの街を歩いていると、数件の日本食レストランがありました。店の名前は「TORO TORO SUSHI」や「ASIAN FOOD UDON」など。ここまで、日本を離れて二十日ほど、せっかく都会にきたこともあり、ちょっと日本食を味わおうと「UDON]に入りました。

店内は、日本酒の樽が多数並べられ、いかにも和風をアレンジしています。厨房にはちょっとアジア系が混じったような顔立ちのかたがいたので、ジャパニーズかと聞くと違うとの答えでしてたが、それっぽい人を採用したのかもしれません。

注文したのが”Oyako Don”10.95€、ご飯の上にのっているのは、チキンカツ、これを細切りにして、炒り卵のような卵がかけられ、さらに(おそらく)中濃ソースがかけられていました。それなりに美味くもあり、鶏肉と卵、親子丼で間違いはないのですが、あきらかに日本風親子丼ではありませんでした。

 

日本食レストラン「UDON]
UDON」内装とOyako Don

パラドール

レオンの街をうろつき下調べなく何気なく、行きついたのがいかにも王宮のような施設がありました。

中に入るとレセプションがあったので、博物館の入場窓口かと思い問い合わせると、”リザベーションはありますか。”と、女性スタッフからの逆に質問されました。

かつての修道院を活用した五つ星ホテル、「ホテル サン マルコス」パラドールでした。

ホテルの中は見れませんでしたが、礼拝堂を併設しており、これだけでも荘厳さが伝わってきます。

五つ星ホテル。パラドール
サンマルコスの礼拝所

まちの名前のとおり、レオン(ライオン)がまちのあちこちに出没します。

まちの名前、レオンがマンホールから。




 

 

カミーノ DAY16 レリエゴス→レオン(Reliogos→Leon)

この日の宿は、レオン、ステンドグラスが有名な巨大なカテドラルがある街で、これを中心に観光客も多い街です。

余裕を持って町の見物をしたかったのと、灼熱のスペインを歩きたくないため少し早めの活動です。

 

朝の風景

朝の風景

ベンチ

レオン県のレオンでは、カミーノ巡礼を観光行政の重点としていることが伺えますが、その一つとして、このようなベンチが巡礼路に置いてあります。

休みどころやベンチはここと言わず巡礼路のいたるところに多種多様なものがあるのですが、測ってこそいませんが、ここのベンチはおそらくちょうど1㎞おきに同じものがおいてあり、かなりの長い距離設置されていました。

コンクリート製のなんとも味気ないベンチで、ほとんどに何らかの落書きがあります。

こんな規則的な設置のされ方は、おそらく行政が設置したものと思われましたが、わたくし的に1~2割程度しか利用したいと思いませんでした。

それは、行政のものだけに、きっちり1㎞おきに作ったものと思われるのですがそのため、その多くが日差しをガンガン受ける場所に設置されているのです。

なかには、たまたま高木の隣に位置し、日陰とベンチで、休憩に適しているものもあるのですが、これが1割程度しかない。

スペインの強烈な日差しのもと、ベンチがあってもほとんどスルーせざるを得ない状況だったわけです。

もう少し配慮できないのかと思うとともに、どこも行政がやることは、やった感を出すことに腐心するのだ、ということなのでしょう。

巡礼路にあるベンチ

バナナの皮のまめの木

下の木は巡礼路の街路樹としてこの区間、多数植えてあったものですが、ぶら下がっているものが、バナナの皮そっくりです。落ちているこれを拾ってみると中から大豆ほどの実がありました。

 

バナナの皮のような豆

RUA 35

アルベルゲは基本的に連泊ができないことになっています、というのはアルベルゲは本来巡礼のためにあるのであり、その町を観光することなどが目的ではないからのようです。

レオンの街はレオン聖堂をはじめ見るところがたくさんあるようでしたので、2泊できるよう、アルベルゲでなく、民営のホテルをブッキングドットコムよりとりました。

ホテルの名前は「RUA35」RUAは”通り”といった意味のようです。

場所は、レオン大聖堂の近くで観光に適しているところでしたが、見た目ほとんどホテルと思えません。

それでも、地図上ここでしかないため、呼び鈴を押しましたが反応なし、昼の2時ころだったでしょうか、どうもシエスタのようで。出直すことにしました。

付近を散策し4時くらいに舞い戻ると漸く受付できました。スペインらしいホテルでした。

RUA 35。Aと書かれた左がホテルの入口。

宿のチェックインできない間に以下の観光周遊バスに乗車しました。

列車型周遊観光バス。5€、30分ほどで市内を周遊する。

 

カミーノ DAY15 テラディジョス デ ロス テンプラリオス→レリエゴス(Terradillos de los Templarios→Reliegos)

レリエゴスまで

巡礼者は、泊まり込みの登山でもするのかと思えるような大きなリュックを背負った方や逆に街歩き用の小さなリュックを背負った方もいます。

これら小さなリュックのかたは荷物がこれだけということでなく、メインのバッグが別にあり、彼らはトランスポート・サービスを利用していました。

これは宿から次の日の宿までそのメインのバッグを運んでもらうサービスで、かなり多くのかたが利用していました。

一回、6€(約1000円)で10~15㎏程度の荷物を2~30㎞程度、車で運ぶお仕事ですので、結構いい商売に思えます。

利用者は、比較的高齢者が多いようでしたが、巡礼は一度始めたら途中簡単にやめることもできないうえ、徐々に疲労が蓄積するわけで、このサービスを利用しだしたら、利用せずにはいられなくなります。依存性があります。

サービスを利用するためには、当然ながら次の日の宿を決めておく必要があります。

私の場合、カミーノ2日目のウントから使い始めましたが、そこから先の宿の予約は全く取っていませんでした。

そこで、巡礼の日課となったのが宿についてすぐ、次の日の宿を探します。

ここで役に立つのが、サンジャンで貰った電話番号付きのアルベルゲリストです。

しかし、巡礼を始めた9月中旬は、結構なハイシーズンで、想定していたアルベルゲに電話を入れてもかなりフルと言われました。

ということで、この行程で止む無くレリエゴス、43㎞先の宿になったわけです。

 

朝の風景

朝の風景。左が車道、右が巡礼路。

サアグンの駅

巡礼者の中には何が何でも、780㎞全行程完歩してやろうという方もいるのですが、私の場合、そんなこだわりはありません。

そこで、ここらで列車に乗ってやろうと思ったところ、ちょうどこの行程のサアグンという町に駅がありました。

サアグンに入り駅に向かうためには少し巡礼路から離れる必要があります。やむを得ない。

巡礼路から500mくらい外れたころ駅についたのですが、駅舎をぐるりとまわると、扉が5つ、6つあったのですがどれも閉まっていました。

と、困った顔でいると、別の巡礼者がここだと案内してくれました。ちょっと開け方が分かりにくい扉のようでした。

そこで、なかに入りホームに行くと、大きなモニターがあり時刻表が表示されていました。

次の列車は、”15時15分”。。現在朝9時半。

とても、待てる時間じゃない。なんちゅうダイヤじゃ。駅舎をでました。

出て、気が付いたのは、ちょっと、”まてよ。ここはバスターミナルでもあるのでないの。”

バスの時刻表が貼ってあり、見ると、”おっ、9時半発がある。”5分過ぎている。

ひょっとして、バスが遅れて来やしないか、10分待ちましたが、来ませんでした。

巡礼路に復帰すると、なにやら見覚えのある顔が。昨日の食事を共にした韓国人でした。したり顔で、”こんなところで、会って大丈夫(自分は距離が短いけど、)43㎞歩けるの。”と言っていました。

”やかましい、こっちは40分早く着いてるんだよ。”と声には出しませんでした。

 

サアグンの橋

サアグンの史跡。巡礼路の門になっている。

サアグンの門

サービスエリア
途中、グーグルマップを見て方向やランドマークを確認しながら歩いていたのですが、レリエゴスの手前に数か所”サービスエリア”とマップ上に表示されていました。

ちょっと期待して行くと、実物はキャンプ場にあるような、丸太を活かしたテーブルとベンチが2,3ある休憩所でした。

 

アルベルゲ、プラダに着いたのは、6時半くらいだったでしょうか。

いつもより3時間ほど多い行程でした。歩数は61,000歩でした。

 

カミーノ DAY14 カリオン デス ロス コンデス→テラディジョス デ ロス テンプラリオス(Carrion des los Condes→Terradillos de los Templarios)

カリオン デス ロス コンデスからテラディジョス デ ロス テンプラリオスまでは、約25㎞少し余裕の行程です。

 

朝の風景

朝の風景

ひまわり畑

途中広大なひまわり畑がありました。盛りの時に見てみたい気もしますが、このときですら暑かったので、おそらく花が見られるときは、とんでもなく熱いのでしょう。

花盛りを過ぎたひまわり畑

テンプラリオスのアルベルゲ

このアルベルゲで、ディナーをとっていると、アジア系の50代と思しき男性から席を一緒にしていいかと問われ、断る理由がないので、ウェルカムと言って食事を共にすることにしました。

韓国人でした。”仕事を辞めたばかりだが、10月から大学のIT系の教師となることが決まっている。その間旅行することにした。カミーノがこんなに人気があるとは知らなかった。”とのこと。

”娘が、ロンドンの大学に留学していて、その大学はノーベル賞受賞者を50人輩出している。しかも、調べてみると伊藤博文が留学していた大学だそうだ。”

どうも、反日的においがするので、”今の韓国の大統領(ユンソンニョル)は、日本と仲良くしようとしているが、どう思う”と、聞くと。

”う~ん、政治的問題だね。”といい、”今の政権を良く思う人はあんまりいないよ。”と言ってました。深く聞けば聞くほど、偏見が露呈するようで、この辺にしました。

その後、翌日の予定を話し、私が、”明日はレリエゴスまで行くことにしている。”と伝えると、不思議そうな顔で、すかさずスマホとりだし計算しだしました。

”43㎞ある。これは、無理だやめたほうがいい。”

実は、私、本人も計算していなかったので、”えっ”と思ったのですが、手前の宿が全てフルと言われ、ここで予約をとっている以上しょうがない。”ノープロブレム”といいながら、不安を残し食事を終えました。

 

アルベルゲのディナー。ホロホロのビーフシチューつき。