Quantum of Treks

タダより安いものはない。歩けばそこに報酬(Quantum)あり。

エスメラルダ ラグーン トレッキング

ウシュアイア中心部のホステルからミニバスでピックアップしてもらい、いくつかのホテルに寄り参加者を拾った後、一本道を進むこと約1時間、ミニバスは車両通行をふさいでいるゲートの前に止まった。

トレッキングのメンバーは15人ほど、若い男女のペア、高齢女性の二人組、高校生くらいの女性とその父親、ソロのアラフィフくらいの女性など、国籍、人種も様々というところ。

この国立公園のゲートの横をくぐり抜け、トレッキングが始まった。

3分ほど歩くと、ガイドが柵の前で立ち止まった。そこにはつながれた狼(犬?)がいた。

そこから離れ少し歩くと”オッオ~ン”という遠吠えが聞こえた、ガイドの解説では狼と言う。Wild Life満載が期待できそうである。

狼(犬)

さらに数分歩くとゆるやかな小川があった。小さな橋をわたり川のわきにそれると、川の色があきらかに違っていた。緑がかった水色である。よく見るとその水域の下流部分が短い枝で積み上げられている。

そのときガイドが言っていたビッグマウスという言葉を思い出した。

口がデカいほら吹きかと思っていたが、実はでかいねずみ、ビーバーのダムであった。

そう言えば、このツアーを申し込んだエージェントにビーバー観察ツアーがあった。開催時刻が夜間であったのと、果たして本当に見れるのか疑問があり少し悩んだがパスした。

ビーバーのダム湖

少し歩くと高木が茂る森の中に入った。

森を抜けると、マッターホルンのようなとがった頂の山が現れた。山の横には雪が張り付いている。フォトジェニックな空間である。多くのメンバーが写真を撮っていた。

 

雪をいただく先端がとがった山

この日は天候もよく、多くのグループやトレッカーが同じコースを歩いていた。

多くのグループがトレッキング

雪解けの水か、よどみのない小さな川が勢いよく流れていた。たまり場がないので魚などの生き物が見当たらない。

コース脇の小川

この小川の脇を登ること20分ほど、突然木々に囲まれたラグーンが見えた。

ラグーンは砂地に囲まれている。

ガイドは、ここでランチ休憩を告げ、メンバーはそれぞれ場所を確保する。

腰を下ろせるところを探し、ミニバスのなかで配られたランチを食べることにした。

アルミホイルを開けるとかなり大きな生ハムとチーズ挟んだサンドイッチであった。

エスメラルダ ラグーン

休憩の間ラグーン周辺を歩くと、砂地に猛禽類がいた。だれかが与えたのかエサをついばんでいた。

かなり、近づくのだが、人を恐れる様子がない。

 

ここには、この猛禽類の他に野生の狐もいた。目撃したのだが、撮りそこなった。

食事を終え暫くするとガイドが号令をかけた。下山である。

ほぼ来た道を折り返す。

都合バスの送迎も含め6時間くらい、サンドイッチとプラのコーヒータンブラー付きの心地いいトレッキングであった。

トレッキングコースから

トレッキング コース

トレッキング コース

エスメラルダ ラグーン




ウシュアイア ビーグル海峡(ミニトレッキング付) Beagle Channel navigation with mini trekking by Patagonia Explorer

ウシュアイア

アルゼンチンの南端ウシュアイアは、マゼランが発見したフエゴ島の南端にあり、街は世界の終わり(fin del mundo)を掲げています。

世界の終わり(fin del mundo)ウシュアイア

ウシュアイアはブエノスアイレスから飛行機で約4時間、一部木造の瀟洒な空港ターミナルビルが迎えてくれます。

ウシュアイア空港(マルビナス国際空港)のターミナルビル内部。
屋根の梁が木造です。

ウシュアイアの街は港を中心にそこから急激にせりあがり、下から商店街、少し上の住宅街、その先には森林があり、標高1000m程度の山々が背後に迫っています。緯度が低く風も強いためか比較的低いところに森林限界があるようで、すぐ山肌をあらわにしています。

街の背後の1000m級の山

宿

この日の宿は空港から5㎞ほど、街の中心部にほど近いところにあり、歩いても行ける距離でしたが、空港の案内にタクシー代をうかがうと3500ペセタ、街のつくりもわからないうえ、1ドルが約800ペセタ(銀行レート)5ドル程度かと思い宿まで利用することにしました。

宿は、個人の一軒家でしたが呼び鈴を押しても反応がない。やむなくメールで宿主とやり取りし、一時間ほど待ったところ宿主がみえ漸く宿の手続きに入りました。

現地払いの宿代は、Booking.comで予約した時はドル表示だったのですが、アルゼンチンペセタで支払ってほしいという。まあ、大きく変わらないだろうと思い同意すると、銀行レートより2割増し程の額を示されました。アルゼンチンの日々の為替レートの変動が大きく、これが実勢という。もともとが高額でもなかったこともあり、旅のしょっぱなから注文着けるのもどうかと思い受諾。

聞けば宿主は普段ここには住んでなく、この日と次の日は私一人で滞在することになりました。

 

ビーグル海峡ツアー

到着のその日の午後にビーグル海峡(ミニトレッキング付)ツアー( Beagle Channel navigation with mini trekking by Patagonia Explorer)に参加しました。

小さな双胴船(カタマラン)に20人ほどの客が乗り込み、桟橋を離れました。

ガイドの女性は、スペイン語と英語を屈指し交互に説明をしてくれます。

豪華客船が停泊する桟橋を離れる

ミニトレッキング

10分ほど船を走らせるとツアー最初のメニューはミニトレッキングで、ビーグル海峡内の小島に上陸しました。

小さな桟橋に横付けし踏みしめられた小径を登っていきました。

島に上陸

ところどころに苔の塊があり、長い年月でつくられた苔を決して踏まないよう注意を受けました。手で触るとかなり堅い苔です。

貴重な苔を踏むべからず

この後行く予定の氷河で有名なエル カラファテ(地名)はこの植物のこととガイドの説明がありました。

とげのあるカラファテの植物

灯台

ボートに戻り、さらに東へ30分ほどでウシュアイアのシンボル的建造物ビーグル海峡の灯台が見えました。

ボートはこの島に接近し乗客はポーズをとります。ウシュアイアの土産物屋には、この灯台のシャツや置物が多数あります。

ウシュアイアのシンボル的灯台

ミウとアシカ

灯台の島からボートは反転し、裏側に廻ります。するとウミウの大群が現れました。

ミウ

クロクビムナジロヒメウ

さらにボートを進めるとアシカの群れがありました。数十頭でしょうか。

アシカ

ミウとアシカは捕食関係にないのでしょう、すぐ隣で共存しています。

ミウとアシカ

アシカとの遭遇がツアーのメインでしょう。こののち帰路につきます。

帰る船内でお茶のサービス。都合3時間ほどのツアーでした。

 

カミーノ DAY26~28 サンチャゴ コンポステーラ(Santiago de Compostela)

巡礼証明書

サンチャゴコンポステーラに一応到着しましたが、巡礼した以上これを証するものが欲しいところ。

巡礼証明書は大聖堂からおよそ200mのところにある巡礼事務所で(有償で)もらえます。到着当日は時間切れ。次の日で申請することとしました。

事務所に入りすぐ機械が4台ほどあります。

これに巡礼者の国籍や年齢などのプロフィール、実施した巡礼は、いつ、どこから始めたかを入力し必要事項が満たされると、番号札がプリントアウトされます。

そして番号がモニターに示されると窓口にいき、これまでアルベルゲやバルなどでの巡礼スタンプが押されたクレデンシャルを提示します。担当官がこれを確認し、問題なければ”コングラチュレーション”と言われ、巡礼証明書が発行されます。

巡礼事務所で証明書の申請

巡礼証明書

クレデンシャルの一部


大聖堂とミサ

サンチャゴコンポステーラでは、巡礼者の到達を祝福し、毎日ミサを行っています。

11時までに巡礼証明書を携え大聖堂のしかるべきところに受け付けて貰うと、列席し、その国名がミサで読み上げられるのですが、証明書の発行に手間取り、11時ぎりぎりで大聖堂についたため、”こりゃ、受付は無理だわ”と諦めました。

しょうがないんで、前日も入った博物館に再度入館。巡礼手帳(クレデンシャル)があれば割引があるのと前日の見たりないところがたくさんありました。再入館でも見どころがたくさんありました。

有償エリアは展示物ばかりでなく、2階から屋上にでるパティオ(というのか?)とその隣にややこじんまりした礼拝所がありました。

2階から入るパティオとこじんまりした礼拝所
こじんまりといっても高さ10mくらいあります

この礼拝所のとなりに警備員がいる入場ゲートがあり、そこを出ると、あら不思議巨大なミサの会場となっていました。2階と思っていたのは主礼拝所の1階に相当するところで、すでに多くの巡礼者が待ち構えていました。

お昼になり、ミサが始まると司祭が朗々と祝福の言葉を述べられているように聞こえました。”ように”というのは、スペイン語なのでなかみがちっともわからない。かといって、列席している巡礼者も、この言葉を聞きながら理解しているのかどうか、特になにか声をあげるわけでもなく、ご利益はどこかしら、と思いました。

しばらく祝福のことばを聞いていると、お約束の巡礼者の国籍が読み上げられました。コーリャはわかりましたが、ハポン(日本)は残念ながら聞こえませんでした。

気持ち的には、意義ありと言いたかったのですが。

巡礼者で埋め尽くされたミサの様子

ボタフメイロ

ボタフメイロは、世界で一番大きな香炉とも呼ばれていて高さ1.6m 重さ80㎏で、大聖堂の中央に吊るされ、一年に数度宗教的祝日などで焚かれ、大人8人が引っ張り揺らされるそうです。

なんでも、多くの巡礼者があつまり汗臭い臭いがたちこめることから、これを打ち消さんがためお香をたくのだとか、との解説があります。

ボタフメイロ

大聖堂の博物館

博物館に入ると、教会の所有物であろう、宗教具や食器、司祭のマントなどが展示されています。

これらは、金や銀で彩られ、というよりそれらで作られているのでしょう。精緻な細工に宝飾品で埋められているものもあります。

巡礼している身で、いうのもアレですが、宗教とは、ここではカソリックですがなんとも金がかかるるものか、と思う次第。

宗教改革が起こるわけです。

御物、司祭のマントやボタフメイロ

 残酷な天使

”残酷な天使のように少年よ神話になれ!”

というアニソンのフレーズがありますが、ということは、残酷な天使は神話になった。という意味ですか?そのまえに残酷な天使ってなに?

今回、巡礼にともない行く先々の教会、カテドラルに大概行きましたが、その祭壇や周囲に多くの天使たちがいました。その天使たちは聖母マリアの天使たちをさすそうですが、実に千差万別、中には予算の関係かスペースがなかったのか壁に首が浮かんでいる首だけ天使や茨を被った天使、体中にくぎを打ち込まれた天使など、いやっというほど出てきます。

下の写真では天使がずらりと並んでますが、なんに使うのかやっとこだの剣だの所持しています。ボタフメイロの写真の背後に天使らしきものが写ってますが、また、かわいくない。年齢的にも中学生くらいですか。

これら塑像は、大理石で作られたものもありますが、木造もあり年月を経て一部が木目に沿って割れているものあります。

下の写真の首が取れた人やくぎを打ち込まれた人は羽根がないので、天使ではないのでしょうが、ほんまに、幼いころから教会でこんな生々しいものを見せられ教えを受けてたら、性格歪むんやないか、と。

まさに”残酷な天使”はこれかなと思いました。

では、神話ってなんだろう。わたしが思いつく神話は、ギリシャ神話ですね、美の神、アフロディーテとか。

そう言えば、エンジェルの髪の毛って、大概天然パーマですね。アフロヘアがアフロディーテからきた言葉で、実はエンジェルが大きくなってアフロヘアになった。

これで合点がいくではないか。ガッテン。

北川景子の頭が昔の鶴瓶師匠の頭になるようなもの、これぞ神話ではないか。

アメリカのLos Angelesは日本ではロサンゼルスと読みますが、losはスペイン語の複数の定冠詞でエンジェルスと読むのは英語読み。スペイン語読みではアンヘル、続けて、ロサンヘルス。アルゼンチンにはロス・アンヘルスという地名があります。

Losは定冠詞なので、特定の天使がいそうですが、何が正解やら。

 

残酷な天使1
残酷な天使

お祈りをする女性
たまたま窓から差し込む光がスポットライトのようにお祈りする女性にあたっていました。これが、計算され設計されていたのなら、まるでインディジョーンズのようです。

窓から差し込む光。

お祈りする女性

 

カミーノ DAY25 フェレイロス→サンチャゴ コンポステーラ(Ferreiros→Santiago de Compostela) 

フェレイロスの宿、Ponte de Ferreirosは、田舎のアルベルゲだけあって朝食は提供されました。小さなアルベルゲや、近くに朝早くから営業しているバルがあるところは、朝食をださないところもあるので、あるだけでもありがたい。

前日この宿を探すとき、一旦カミーノの印があるルートを離れました。

そこで、巡礼路があるだろうと思われる道まで戻ることとしましたが、どうもはっきりしない。

やむなくいつもの手、スマホで方向だけ確認し西へあるくと大きな道に出くわしました。たいていの場合、方向があっていたら、必ずカミーノの道標に到達していました。

 

朝の風景

しかし、今回は早朝の暗がりで若干不安が、1時間ほどあるいても道標がみえない。

かわりに、朝から営業しているアルベルゲ兼バルがあったので、ここでカプチーノを一服。

それから、この道を西へ進むとほどなくいつもの印がありました。

 

夜が明け、あたりが白んでくると、どこからともなく巡礼者が増えだしました。

国道の一部を歩いたり、巡礼路用の砂利道を歩いたりしますが同志が近くにいるので、およそ迷うことはありません。

ところどころで、”ブエンカミーノ”と、言葉をかけあい歩を進めます。

日が昇り出すと、すでにご案内のとおりスペインの乾燥、灼熱に見舞われます。

日陰を探しながら、元気のいい巡礼者に先を譲り、ふらふらと歩きます。

途中、修学旅行でしょうか、女子高生と思われる集団もありました。

 

Just 10㎞

巡礼路を遮るかのように、サンチャゴコンポステーラ空港があり空港末端を迂回します。

その30分ほど後、ラバコリャの集落でちょうど残り10㎞の道標に到着。

残り10㎞

それからしばらくすると、日陰のない一本道が長々と続きました。

これまでこうした道の傍らには定期的に休憩用ベンチがあったものですが、なかなか現れない。

そのうち、右手には大きな企業の敷地が見えてきたのですが、駐車場はあるもののベンチひとつない。”なぜ、巡礼者のための社会貢献をしないのだ。”と思いつつさらに歩くと、答えがわかりました。

この道の曲がり角に飲み物や、ハンバーガーを提供するテラスがあり、サンチャゴコンポステーラのトレードマークのTシャツやピンバッジなどを揃えた土産物屋も併設していました。

なるほど、これまでベンチひとつなかったのは、ここで消費させるためなのか。

コーラ一本注文し、トイレを借りましたが、紙が散乱し、相当雑な使われよう、巡礼者の疲れが見えるようでした。

 

大きなカミーノの表示

チャペルのある丘

 

高速道路をまたぐ橋をわたるとすっかり都会の様相です。

橋のたもとにベンチがあったので休んでいると、50過ぎくらいのシンガポールカップルから声をかけられました。

モニュメントは先人たちのシールだらけ

シールだらけのモニュメント

この日の宿、アルベルゲ、フィン デル カミーノは、目的地、サンチャゴコンポステーラ大聖堂の手前2㎞のところにありました。近くを通りかかる頃が3時過ぎ、微妙な時間帯であったので、チェックインを先に済ませると、動く気力がなくなるようでそのまま通過。

この宿の近辺はきれいに区画整理されたところで、坂を降りたところには幅200mほどあるアレア セントラルというショッピングモールがありました。なかに入ると上層階はマンションのようでしたが、店舗はかなりがシャッターが降りています。シエスタでしょうか、人も少ないのですが、よくまあこれで成り立つな、と言う感じ。

 

このモールを抜け大きな車道をまたぐと、カミーノの印に合流しました。

ここへ来ると、さすがに巡礼者が増えだし、もう道に迷うことはありません。

のこりわずか

いよいよ巡礼路ものこりわずか、周囲はバルや土産物の店が増えだします。

巡礼者も、高校生のような若い人から、お年寄り。団体や、個人バラエティ豊か。

 

さらに進むと、いかにも門前町と思われる路地に入るとこうした店舗などが増えてきました。

巡礼者や観光客たちとバルやまちの人たちが入りまじり、いもを洗うかのような様相に。

そして、カテドラルの外観が見えだし、ひとの流れに押し出されるかのように歩くと巨大な建物が。

漸く、ど~も、サンチャゴコンポステーラに到着したらしい。

”ど~も”というのは、どこが入口かもわからない。なにをもって到着だろう。

下の写真は入口のひとつの前にある土産物売り場

入口のひとつの前

ぐるりと聖堂をまわり、全容を確認

全容といっても収まり切れていません。

Santiago de Compostela From Plaza do Oblaroiro

 

 

 

カミーノ DAY24 メリデ→フェレイロス(Melide→Ferreiros)

メリデから次の宿があるフェレイロスまでは20㎞と少し、終点のサンチャゴコンポステーラまで30㎞を残すところに泊まることにしたわけですが、サンチャゴコンポステーラに近づくにつれ、近距離踏破者が増え、アルベルゲの数はあるものの、結構埋まっています。気持ち的に最終日の区間を短くしたかったのと、最終前日の宿はそれなりの規模の街にしたかったのですが、いっぱいで、宿以外なにもないフェレイロスとなりました。

朝靄と飛行機雲

自販機

メリデから10数キロにある中規模の街アルスーアの入り口付近で見つけた自販機です。ちゃんと機能しているものです。飲み物やスナック菓子などの自販機は巡礼途上で多数見ましたが、ここの自販機はまるっきり檻に入れられています。過去のトラウマがあるのでしょうか。

販売機は檻の中アルスーアで

巡礼路の橋の歩道部分

ご覧のとおり、橋の欄干はステッカー、シールだらけ

欄干はカミーノのシールだらけ

 

巡礼者のメッセージは石積みの隙間にも委ねられます。

巡礼者のメッセージ




カミーノ DAY23 ゴンサール→ メリデ(Gonzar→Melide)

ゴンサールからメリデまで30㎞と少し。距離があるので早めのスタートです。

朝の風景

巡礼路に緑の通路がありました。

緑の小径

 

ハンバーガ

メリデに入る少し前の小さな集落のバルに入り、ハンバーガーを注文しました。

ここで、なぜハンバーガーを取り上げるかと言うと、味付けのことです。

日本のハンバーガーは中身のパテやチーズの具材ばかりでなく、照り焼きだのバーベキュー味だのそのソースにこだわり提供されていますが、この写真のハンバーガーには初めからソースがありません。

小さいパウチのケチャップとマスタードが添えられてあり、自分で塗ってね、というスタンス。マクドナルドはマドリードなどスペインの大都市にはあるのですが、こういうところとは最初から勝負しないという姿勢でしょう。食に対する文化の違いでしょうか。

ハンバーガ

 

途中の小さなバルのモニュメント

アリのモニュメント

巡礼路上にあじさいが咲いていました。

10月のあじさい

メリデの少し手前のフレロスにあるローマ橋

Furelos Roman bridge

M氏とるるぶ

メリデの中心部のバルのテラス席で鎌倉在住と言う日本人のM氏と遭遇しました。M氏は60過ぎくらい、巡礼を初めて3日目で、巡礼コースはサリアから入りサンチャゴコンポステーラへ行くという。

サリアからの道のりがかなりこたえたようで、”このコースは大変だったでしょ”と私に問いかけていたのですが、”そうなんですか”とやんわり否定するような反応でかえしました。それよりもオセブレイロの方がこたえたからですが、そんなことより私の疑問は、M氏の所持品”スペインのるるぶ"でした。これで、巡礼するのにどれだけ役に立つのだろうか。

M氏は次の宿を確保してないようでしたが、メリデから、終点のサンチャゴコンポステーラまでのこり50数キロ、2日あれば十分の距離なのですが、M氏は3日かけようか迷われていました。そんなに考えるとこでもないのですが。

 

スーパーの魚介類

メリデのスーパーマーケットを覗くと、新鮮な魚介類が並んでいました。

メリデは内陸部で近くの海まで100㎞程度ありそうですが。

スーパーの魚介類

この日の宿、サンアントンの傍の教会です。

メリデのアルベルゲの傍の教会(Igrexa de San Pedro de Melide)



 

 

カミーノ DAY22 サリア→ゴンサール(Sarria→Gonzar)

サリアからゴンサールまで30㎞弱。すこし距離があるので6時ころ出発。

この時間帯は同部屋の住人の多くが睡眠中、きしむ二段ベッドの音を抑えつつ、そろりと降りると、下段のSさんもちょうど出発の準備をしていました。

軽く挨拶し、当方が先に出発しました。

前日から、朝食を用意していなかったので、ルート上に食べるところはないかと目をこらしていたら、昨日のディナーの会場のバルが朝6時過ぎで空いていました。ありがたい。

巡礼路は二つに分かれるところもあるのですが、巡礼者の目指すところは基本同じであります。このあたりは一つしかないので、朝お別れをいったばかりの隣人S氏はおそらくこの店にくるだろうと思っていたところ、朝食中再会となりました。

ここでも当方が少し早めに店をでて”ブエン・カミーノ”とあいさつし、真っ暗な道を歩き出しました。

巡礼路はこれまでもご案内のとおり、多くの曲がり角、分岐があり、迷わないように示されているようでも、分かりにくいところがたくさんあります。

特に早朝はヘッドライトをたよりに歩くため、これらのサインを見落としがちです。

そんなときはいったん立ち止まり後続の巡礼者の眼力を頼る場合があるのですが、朝食会場のバルを歩き出し10分程度でそのような道に出くわしました。

ここでいったん立ち止まり、暫くするとS氏と再再度遭遇。ヘッドライト照らしあいながら、順路を探すことを繰り返すこととなりました。

南アフリカ出身のS氏は67歳、当然英語を話すわけですが、一緒に行動するとなにか話をしなければという思いで英単語を浮かべつつも、このタイミングでどーも足が痛くなってきました。路面の凹凸に気を取られながら、働かぬあたまで英会話をしようとすると、余計混乱しだし、くわえて暫くすると、雨がぱらぱらと。

これまで、同じひとと一緒に歩くことはまれで、最長1時間程度でしたが、結局このS氏とは5時間半ほど歩きました。

面白くもある一方、日ごろ使わない脳みそを大変使った道中でした。

 

朝の風景

巡礼路はご案内の通り、道標があり、終点のサンチャゴコンポステーラまでの残りの距離が示されています。

この区間での歩き出しが残り100と十数キロ、あゆみをすすめ道標を見るたび、S氏と”もう少しで残り100㎞”と、励ましあっていました。

ちょうど9時ころ、カミーノの道標、”残り100.000㎞”に到達。コングラチュレーションとお祝いしました。

 

S氏とは町の入り口に大きな川が流れるポルトマリンという中都市でなれないハグをしてわかれました。

S氏はここの街で宿泊であったので、街の奥へ入っていきましたが、当方の宿はここからさらに8㎞ほどのゴンサールというところ、ちょっと気持ちを切り替えます。

 

ガリシアの倉庫

ここガリシア州では建物に特徴があり、すこし年代のある住居は、その入口付近に細長い倉庫が立っています。大きさはまちまちですが、戸建ての家でよく見るものは幅2~3m、厚みが50㎝程度でしょうか、(あるところにはもっと大掛かりなものがあります。)両端にしたの写真のように剣先や十字架が掲げられています。

ガリシアの倉庫 オレオ

ゴンサールへの道

ゴンサール

S氏と軽い食事を10時くらいに摂った後、そこからゴンサールまでの道中では、なかなかおなかを満たしてくれるバルが見つかりません。

結局、食事を提供してくれるところが見つからず、空腹でフラフラしているころ16時くらいに宿(Casa Garcia)に到着。着くなり、ディナーを出してくれと依頼し、ほどなく以下のディナーありつけました。

 

アルベルゲでディナー